環境が環境を呼ぶ

環境が環境を呼ぶといういうことがある。スポーツの中では子供のころから同じように練習をやっていても、人と違うセンスや才納があるんじゃないかと認めら れる人がいます。それはほんのちょっとした技であったり、その種目に対する日々の取り組みから感じられることもあります。秀でたものがあればコーチから 「あそこへ行ったらどう」をそのセンスや才能を伸ばすための次の環境を示してくれる。その技を極めることができるさらなる環境をすすめられる。

だぶんそこでも素晴らしいコーチに出会うでしょうし他にないトレーニングも受けられるでしょう。個人の資質として、遺伝的要素があるのかもしれないが他者 がしっかりと認めてくれる環境がある人は、その人がいるそのものの環境が次の環境(ここでは人なのかもしれません)を呼ぶように思います。

野球選手やオリンピック選手をみると確かに遺伝的要素が環境を選び決定づけるというこがある人もいますがが、その人自身のセンスや才能や努力、そして周りにいる人との関係など、人と人との関係も含む環境的要素が大きく次の環境を呼び決定づけるのではないかと思う。遺伝的要素により環境を呼ぶ人は、ほんの一握りの人であって、僕の含めたそうでない人たちでは何が環境を選び決定づけるのだろうか。

仕事としての介護い就いたとき初めて知る自分の力のなさであったり、あたり前と言われるケアと現実のギャップであったり、こういうケアがしたいという想いであったりチームケアの現状であったりと、「今、ここにいる」「ここから」の自分からという、自分自身のモチベーションを維持するかしないかにかかっているのではないかと思う。マイクロビヘービアチェンジで あるけれど、決していいとは言えないケアの中で少しでも良くしていって、少しの変化を利用者から確かめ、達成していいっている人には力を感じます。施設の 中にも同じ方向を向いていてしっかりとその過程をみてくれている人が必ずいます。他者がしっかりとその過程を見ていて認めてくれるだろうし、そういう環境 によりモチベーションが維持され、ケアをどのように捉え考え取り組んでいけばよいのか次の環境を呼ぶのではないかと思います。人は必ずいるものです。さら には働く施設を越えてこのようにネットで同じ方法を向いている人に出会える。まさに環境的要素によって導かれている。

陰口は言わない。

直接文句を言われるのは許せる。

しかし、自分の噂が第三者から耳に入るとイラッとする。

たまに人の悪口しか言わない、モチベーションを下げるプロがいる。

その人に陰口を叩かれているのを知るとテンションが下がる。

しかし、気にすることはない。

周りの人はその人の言ううわさ話を、ああ、また言ってるわと聞き流すだろうし、何の影響力もない。

陰口を言う人に誰も本音を言わない。

結局攻撃的な発言ばかりしている人は周りにそんな人しか集まらないし、逆にポジティブな発言をしている人にはそんな人が集まる。

口癖が周りにいる人を変える。

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