客観的にということはどういうことなのだろか
客観的にということはどういうことなのだろか。老人介護の現場では、特に認知症状のある高齢者の方の介護においては、経験的な直感や、こうなんじゃないか という「感じ」や「気がつく」ことから援助方法のきっかけが見つかることが少なくありません。それは、あくまでも個々のワーカーの主観的な、その利用者を みたときの印象といいますか、まさに「感じ」であります。
自分が誰だかも分からない、言語での疎通性も困難な、自身が感じているであろう身体感覚を表すことができない方々であります。その方のちょっとしたサイン や仕草を読み取って、「うん、これはもしかすると、おしっこ?」ではと、感じとって、実際にトイレ誘導します。そして、うまい具合にトイレでおしっこが成 功します。認知症の高齢者は、なんらかの身体の感覚を感じているのだと思いまますが、それが生活行動へつながらないところに苦しみや不安が生まれてくるの ではないかと思います。その証拠に不安になります、落ち着かなくなります、トイレに行きたいのですが、分かりません。こころがあるからだと思います。その 感じを、もしかするとその人以上に読み取って、あたりまえのように対応するという意味で、現場のワーカーさんは、やはり「介護の専門家」であると言えるの ではないでしょうか。
客観的というと、多数のデータに基づく値であったり、いつ誰がみても、多くの人に認められ納得されている様子とあります。しかし、正確に対象を捉えると いう意味もあります。ワーカーさんが「感じ」た、この感じは、とっても主観的なものでもあるにも係わらず、おしっこがしたいのでは→トイレで成功した、と いう事実からいえば、とても客観的といえるのではないかと思います。
入居者の心配事の優位性について、心配事は、その入居者の優位性(はじめは歩けるようになりたい→足がいたい→腕がいたい 意識されてゆく)のもとに 変化していき、意識の上に上っていくことを理解する必要があり、援助者として、理解しようという姿勢と手立てが鍵となると理解しました。言葉があっている かどうか迷いますが、医療という枠組みの中でおきる入居者の心配事の優位性と捉えると、介護という枠組みの中でも、また違った心配事の側面があるのではな いかと思います。
老人ホームでは、その入所している方々の抱えている性質上、改善や回復というより、生活のための様々な行為を「維持」していくことが重要となっていきま す。そして、それは人の手をかりなくてはなしえない生活行為といえます。排泄介助や生きてゆくために重要な食事の介助、ベッド上で寝返りのできない方は、 寝返りも他人が行う介助が必要となります。以前、物と人の関係で書きましたが、人が行う場合は「介助」と呼びます、物(例えば車椅子)の場合は介助と呼び ません。自助具と呼ぶように、いずれ自分の支配下になります。この、人の手をかりなくてはならないという介護の側面が、利用者である個にとっては、大きな 心配事を作り出すのではないかと思います。同時に豊かな相互交流でもあります。
もう随分前になりますが、私が駆け出しのワーカーさんだった頃のことです(20年前位にまりますか)。昼夜問わずナースコールの頻繁な利用者がいまし た。その日は私は、夜勤(30名を一人)で、内心「今日はどうかなぁ~」とちょっと憂鬱な気持ちで夜勤に入ったのを覚えています。案の定、ナースコールの 連続、それも5分おきに、オムツ交換もできないほど。内容も、ちょっと足を動かして、布団の位置を変えてと細々とでした。あまり、頻繁なので私も考えたの を覚えています。「もしかして、私を試しているのだろうか」と。その方は、入所後間もない方でもあり、なんとか自分で動かせるのは、上肢のみ、それも手首 から先と言っていいでしょう。寝返りも、夜の喉の渇きも人の手をかりる必要がありました。どんなことがあっても、対応しよう。それは、朝まで続きました。 夜が明ける頃、声をかけました。「昨夜は眠れました?」の言葉に、「ごめんなさいね、あなたも大変だったでしょう」と返ってきました。
この一言から、人の手をかりなくてはならないことを、この方は自覚していたのだということを理解しました。と同時に、身体的にはかなり疲労を感じていまし たが、精神的に癒された利用者からの一言でもありました。そんなことから、利用者には、二重の心配事や不安があることを経験的に知り得ることができまし た。
ここではナースコールですが、何度もなんどもコールで呼ぶのは、来てくれるだろうか、言い換えると、自分を大切に思ってくれているだろうかという不安か ら、もう一つは自分の切実な願いをきいてくれるだろうか、言い換えると、来てくれて対応してくれるだろうかという期待と不安があることを知り得ました。
入居者の生活といっても日常の中で、刻一刻と過ぎ去っていきます。しかしながら、介護という関係からつくりだされる二重の不安を、もしかしすると常に抱え ている方がいるのかもしれません。まず理解すること、理解しようとする姿勢を持ちたいと思います。その姿勢は相手に通ずると信じて、そうすれば、その不安 を取り除く方法は、あとから自然とついてくるのではないかと思います。理解し、ケアとしての行動に移すことの重要さを認識していくのだろうと考えます。
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